【有馬記念】戯れにも見えた。死闘にも見えた。 ~テンポイント~

1年の総決算とも言われる有馬記念。また、それは数々の名レースを生んでいるレースでもある。

皆さんは有馬記念と聞いて、何を思い浮かべるだろう。
ある人はオグリキャップの復活を思い、ある人は全勝をかけてこのレースに臨んだテイエムオペラオーを思い、ある人はこれで引退してしまうのかと惜しんだディープインパクトを思う。
全てを挙げるとキリがないのでここでやめておくが、本当にこのレースは数々の名レースを生み、我々の心に今も生きているのだ。

このレースについて語り出したら、もう止まらなくなってしまうので、ここでは今まで通りJRAのCMから1つだけ紹介させていただく。来年以降もしっかりばっちり更新していくつもりなので、他のレースについてはお楽しみにということで・・・

1977年 有馬記念

その直線で、過去も未来も消え去った。
ただ、今と今のぶつかり合う、伝説のデットヒート。

戯れにも見えた。死闘にも見えた。

競馬のすべてがここにある。

2012年 JRA CM TheWinnerシリーズ

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生まれ

テンポイント(栗毛)
1973年4月19日

父 コントライト
母 ワカクモ

桜花賞を含む11勝をしたワカクモの母「クモワカ」という馬は、伝染病と誤診されて殺処分されかけたが、馬主や競走馬生産者の働きかけにより、裁判にて繁殖牝馬として復帰したという経歴を持つ。
額の流星と栗毛の馬体の美しさから「流星の貴公子」とも呼ばれた。
馬名の意味は、新聞の本文に使われていた「8ポイント活字」よりも大きな文字である「10ポイント活字」で紹介されるような馬になって欲しいといった願いから「テンポイント」と名付けられた。

2歳時(1975年)

関西の小川佐助厩舎に入厩していたテンポイントは、8月17日に函館1000mの新馬戦で、後続を10馬身差つけ、レコード勝利という圧巻のパフォーマンスでデビュー。そのまま次のレースも9馬身差で勝利すると、次に出走した阪神2歳ステークスでも後続に7馬身差つける勝利で、この年の最優秀2歳牡馬に選ばれた。

3歳時(1976年)

阪神2歳ステークスを勝利したことで、テンポイントは関西のクラシック候補と言われた。
年明けからはその中でも日本ダービーを目指すため、東京コースの経験を積ませようと東京3歳ステークス(今の共同通信杯)に出走した。このレースは勝利したものの、2着との差は半馬身だった。
次に出走したのは皐月賞トライアルであるスプリングステークスで、こちらも優勝はしたものの、2着との差はクビ差。
この2走により「テンポイントは怪物ではない」と言った声が一部から上がり、また、3歳でデビューしたトウショウボーイが注目を集め始めていた。

そして迎えた1冠目の皐月賞だったが、厩務員のストライキの影響で上手く調整ができなかったテンポイントは調子を落としていた。結果は2着だったが、トウショウボーイに5馬身差もつけられてしまった。
続く2冠目の日本ダービーでは、「テンポイントの競争生活において最も体調が悪かった」と言われるほどの調子の悪さ。レース中に剥離骨折を発症し7着と敗れてしまう。

レース後、小川調教師が記者の前で「関西馬が負けるのは、競馬場にも栗東トレーニングセンターにも坂がないからだ(当時阪神競馬場には坂がなかった)」とコメントし、栗東トレーニングセンターに坂を付けるよう訴えかけた。
(この発言により、同年秋には栗東トレーニングセンターの調教コースの1つに勾配がつけられたほか、1985年には坂路コースが作られた。1990年代からの競馬界は「西高東低」となり、坂路コースはその要因の一つとされている。)

骨折は7月には治り、秋は菊花賞を目指して調整が進められた。復帰初戦には京都大賞典が選ばれたが、その前に菊花賞トライアルである神戸新聞杯や京都新聞杯の出走を断念しており、調子は万全ではなかった。それでも古馬相手に0.1秒差の3着と健闘。
そして迎えた菊花賞。トウショウボーイをマークするような形でレースを進め、最後の直線ではトウショウボーイを交わして先頭に立つも、内から伸びてきた12番人気のグリーングラスに交わされ、2着に終わった。
このグリーングラスは後に「トウショウボーイ」「テンポイント」「グリーングラス」の3頭で「TTG」と並び評されるようになる。

その後出走した有馬記念では、トウショウボーイから1馬身半差の2着と敗れた。

4歳時(1977年)

4歳になったテンポイントは、天皇賞春に向けて調整。
京都記念、鳴尾記念をクビ差ながらも連勝し、迎えた天皇賞春本番では、5,6番手からのレースをし、第4コーナーで先頭に立つとそのままゴール。ようやく手にした大きなタイトルだった。
そして次のレースは宝塚記念を選択。このレースには、持病の影響で天皇賞春を回避したトウショウボーイも出走を決めていたが、有馬記念から5か月間のブランクもあり、調教もあまり動いていないことから人気を落としてテンポイントが1番人気となっていた。
レースは、お互いにマークし合ったためか1000m63秒というスローペースで進み、3コーナー手前から、逃げていたトウショウボーイが仕掛けると、後半1000m57秒6という当時のレコードタイムを凌ぐタイムで押し切って1位。2着には3/4馬身差でテンポイント、3着にはそこから4馬身差でグリーングラスが入っていた。

このレースの後、アメリカで行われるレースへの招待を受けたテンポイントだったがそれを辞退。トウショウボーイを倒して日本一の競走馬になるべく、年末の有馬記念を目標とした。

夏季休養後の初戦は、京都大賞典。63kgの斤量を背負いながら、2着に8馬身差つけて逃げ切り、次のオープンも逃げ切って優勝。

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第22回有馬記念

宝塚記念の後
テンポイントはトウショウボーイを負かすため、調教時に鞍に5kgの鉛をつけてトレーニングし、
引退の決まっていたトウショウボーイは、テンポイントを負かして花道を飾らせたいと有馬記念出走を決めた。

トウショウボーイ陣営は「テンポイントが出るなら出よう。決着をつけよう」とコメントし、
テンポイント陣営は「ここで負けたらテンポイントは永遠にトウショウボーイの下馬になってしまう」とコメントしたという。

そうして迎えた有馬記念。
TTG(トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラス)に加え、同年の菊花賞を勝利したプレストトウコウの出走、また3歳世代最強のマルゼンスキーの出走の可能性を見て回避した馬が続出したことが原因で、この年の出走頭数はなんと8頭だった。

レースは完全に2頭のマッチレース。
スタートから逃げるトウショウボーイに外から馬体を合わせていくテンポイント。1周目のスタンド前でテンポイントがトウショウボーイの内に入ると、その直後のコーナーでトウショウボーイを抜いて先頭に変わる。その直後、外からトウショウボーイがさらに前に出てテンポイントは再び2番手に。テンポイントは抑え、今度はまた外からトウショウボーイに並びかけていく。
2頭は激しい競り合いを続けたまま、最後の直線へ。
内トウショウボーイ、外テンポイントの激しい叩き合い。
そんな中、先頭でゴール板を駆け抜けたのは、テンポイントだった。

この時のトウショウボーイの鞍上「武邦彦」と、テンポイントの鞍上「鹿戸明」の両騎手は、「レースに負けてもいいから相手に勝つことしか考えていなかった」といったコメントを残している。

そしてこの年の年度代表馬にはテンポイントが選ばれた。

5歳時(1978年)

5歳になったテンポイントはこの年、海外遠征を行うことを発表した。
この発表の後、「海外に行く前にテンポイントの姿が見たい」というファンからの要望が多数寄せられていた。この声に応え、テンポイントは66.5kgの斤量を背負ってハンデ戦の日本経済新春杯(のちの日経新春杯)に出走したのだった。

レースは向こう上面半ばまでテンポイントが先頭で進む。そこから他の馬に競りかけられたものの斤量を苦にしている様子はなく、楽勝ムードだった。しかし、第4コーナーに差し掛かったところで、テンポイントは後退。左後ろの脚を引きずっている。

結果は骨折。しかも折れた骨が皮膚から飛び出す重度のもので、競走馬としては絶望的な負傷であり、普通は安楽死がとられるような怪我であった。
しかし、テンポイントを助けてほしいといった内容の嘆願が数千件も寄せられたため、成功の確率が数%ほどしかない手術を行うことにした。

手術と闘病生活

1月23日に行われた手術は、折れた骨をボルトでつなぎ合わせた後、ジュラルミン製のギプスで固定するといった内容のもの。一度は手術は成功したと思われたが、テンポイントが体重をかけた際にボルトが曲がってしまい、折れた骨がずれたままギプスで固定されてしまっていた。
2月13日には、患部が腐敗し骨が露出しているのが発見され、さらにその後は蹄葉炎を発症など症状は悪化する一方だった。
3月3日には治療が断念され、3月5日には死亡してしまった。安楽死は最後まで行われず、自然死だった。
手術前には500kgを超えていた体重も、300kgを切るぐらいまでにやせてしまっていたという。

テンポイントが遺したもの

安楽死について

テンポイントを安楽死させなかったことは、馬主の意向として「生あるものを安楽死させることは忍びない」といったものだったが「テンポイントを苦しめただけではないか」といった批判も多く上がった。
サラブレッドは長時間横になることができず、また1本の脚を庇って立っていると他の脚に負担がかかって蹄葉炎になってしまう。生かしてあげたいという人間の気持ちは、時にサラブレッドを必要以上に苦しめてしまうことにもなりかねないということを、我々は理解しないといけない。

闘病の記録

テンポイントの闘病は貴重な症例となり、骨折をしても復帰している馬、ボルトを入れたまま現役を全うした馬など、現在の競走馬に生きている。

ハンディキャップ

テンポイントの故障の後、ハンデ戦の斤量が見直され、過度に重い斤量を背負わせることはなくなった。

1990年、数字にはない部分で日本の競馬に大きな貢献があったという理由から、テンポイントは顕彰馬に選定された。

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あとがき

このテンポイントという馬、今まで名前だけしか知らなかったのですが、調べてみるとなんともすごい馬だったのだなということを思いました。
悲運の名馬とも言われるこの馬から考えさせられるようなことはいっぱいありました。僕を含むレースや馬を見るだけの競馬ファンは、そういった負の面は見て見ぬ振りができてしまう立場にあるわけで・・・ただ、だからと言ってなにかできるわけでもないんですけどね。少しでも馬のことを思って、何か行動するチャンスが来たときに動けるようにしておくことぐらいでしょうか。難しいです。

さて、今年の有馬記念を見てみると、まさに頂上決戦と言える豪華メンバーが集まりました!
「競馬のすべてがここにある」といえるレース、非常に楽しみです!また、今回の有馬記念に関しては、及ばずながらも競走馬紹介の記事も上げるので(馬券においての買える要素、不安要素なども書いてみる予定)そちらもよろしくお願いします!

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