プロセカ イベスト「Unreliable Notes」 について語りたい!!! [感想・イベントストーリーまとめ]

今回は25時、ナイトコードで。のイベントストーリー『Unreliable Notes』に見る奏とまふゆ母の同一性と、今後の話し合いで予想される妙な構図!?ってことで、ストーリーについてまとめつつ、好きなところなどなど語っていこうと思います!!

ただ語るといってもなかなか難しいものがあるので、ひとまず「良かった点」と「微妙な点」、そして一部深掘りしたくなったらしてみるというような感じで進めていきます!

そして注意として、当記事は当然ながらプロセカストーリーについてガンガン触れるので、ネタバレ注意です!
ストーリー興味ないぜ!とか、ストーリー見るのちょっと億劫になってる方はぜひストーリーを全部見てからこの記事に戻ってきてください!

目次

あらすじ

奏は、まふゆを救う曲を作るために『まふゆが感じているあたたかさ』の正体を深堀っていく。そしてそれが母親との思い出に関係があるとわかり、早速曲を作ろうとするのだが——。

公式のあらすじから引用

描き下ろし楽曲

D/N/A

作詞・作曲:Azari 様

イベストまとめ

未だにまふゆを救える曲を作れていない奏は、

まふゆの言う、自分の曲のあたたかさとはどういうものなのかの詳細を尋ねると、

まふゆが幼い頃に風邪を引いたとき、ずっとお母さんがそばにいて看病をしてくれた時の気持ちに似ているということを話してくれました。

そして次の曲を、そのあたたかい思い出をイメージして作ってみることにした奏でしたが、

『イミシブル・ディスコード』のイベスト内にてまふゆの母と話した時に感じたのは”冷たい”という真逆の印象だったために、うまくイメージができないでいました。

そんな時、街中で偶然まふゆの父親と遭遇した奏は、そのまままふゆの母親についての詳細を聞くことにします。

そうしてまふゆの父が語ったのは、

まふゆが赤ん坊の頃に熱を出した時のこと、

大雪で車も出せずに病院へ向かうのも難しかった中、まふゆの母親はまふゆ抱いて、

濡れないように盾になり、降る雪で髪を真っ白にしながら病院へ向かったという話でした。

そして続けて、自分たちはまふゆを想うばかりにいつの間にか道を間違えてしまったけれど、まふゆの母親は今も、まふゆのために病院へ向かったあの頃と変わっていないと思うと話すのでした。

そんな話を聞いた奏は、そこから曲作りに向かっていきます。

しかし、それでもなお思ったようなものにはならず、

食べることも寝ることも後回しにして、ただひたすらに曲作りを続けていました。

そうして数日が経った時、ついに奏は倒れてしまいます。

そしてその時に見た、まふゆの母親がまふゆをどこかに連れて行こうとする夢を見た奏は、

自分がまふゆの母親を信じきれていないから、うまくイメージが重ならなくて曲が作れないということに気付き、

奏はまふゆの母親についてもっと知ろうとすることを決め、そんな奏の姿を見ていたまふゆも一歩踏み出す勇気を決めるのでした。

またそんな話の裏側で、看病をしてくれたあたたかい思い出をまふゆが今の今までずっと大切に覚えていることがまふゆ母に伝わったり、その話からまふゆ母が少しだけ自分の行いを見つめ直したり、

それでもなお困惑するようなところがあったり、

そんな中でもまふゆのためにとマフラーを編んであげたりなど、少しずつ変化があるようでもありました。

そして数日後の宵崎家にまふゆの父親がやってくる日、まふゆはお母さんと話をする決心を固めていました。

そしてその話はまふゆの父側からも提案され、話し合いをすることが決定します。

また、まふゆがその場に奏もいてほしいと希望したことで、奏の同席も決定するのでした。

そして奏は、まふゆにとっての大事な話し合いを近くで支えることと、まふゆのお母さんのことを知れるいい機会だということを胸に、

まふゆを救うためにできることをやる決意を固めたところで、今回の話はおしまいです!

イベントストーリーの良かった点

つい4ヶ月前に瑞希の話に一段落がついたと思ったのもつかの間(ニーゴ箱イベカウントでいうなら連続)、今度はまふゆ編が完結に向かい始めたような話であったのは少しびっくりしましたね・・・
ああ、しっかりと終わりに向かってしまっていっているなと悲しくなるところでもありましたし。

そんな今回のストーリーの感想、そして次回を想像して楽しんだりなど色々と語っていこうかなと思います。

タイトルの話

イベントタイトルである『Unreliable Notes』の意味は、それぞれ”Unreliable”という単語が”信頼できない”とか”頼りにならない”という意味で、”Notes”が音とか音符という意味です。

まふゆの母を信用できていないせいで曲が作れないという状況であったり、またその曲もまふゆにとって頼りになる曲ではないという奏の焦りが見えたような今回のイベントにマッチしているようなタイトルですね。

どちらとも取らせきれないような言葉選びや行動に見える

8話の時点では、まふゆ母なりに昔の温かい思いやりをあげているように見えましたが、

その前の4話の時点ではまだまだ全然納得いっていないような感じで、「まふゆと話したい」という希望もどこか強さを感じるというか、自分勝手さを感じるような言葉にしか聞こえませんでした。

8話の方が後の話なんだからそっちの方が最新だろ!というのは百も承知なのですが、それでも4話の話の方が尺もたくさん使われていますし、インパクトもそっちの方が全然あったので、まだまだまふゆ母がりんごの思い出の頃のようになれたわけではないと個人的には疑っています。

この、まだまだどっちか分からないでしょ~みたいな引っ張り方、次のイベントまで楽しませてくれる感じは内容が内容だけにちょっとアレな感じですが、正直すごい好きです。w

知らないものは作れない

少し別軸の話っぽくはなるのですが、

奏のこの「自分が知らないものは作れない」というこのセリフが、どうにも気になりました。

もしまふゆに起きている話を全く知らない(経験のない)人間がこのシナリオを書いているとしたら、こういうセリフ・言葉は出てこないんじゃないかと。
つまりこれは、このストーリーを書いた人の言葉でもあるんじゃないかと、そう思います。

当然ある程度話を膨らませていたり、想像で補っているようなところも多分にあるのでしょうが、それでも元の種となる部分は実体験から来ているからこそ、こういうセリフが出てきているような気がするんですよね。

そもそもニーゴにおいての奏はヒーローポジションなので少し例外的なんですけど、まふゆ・絵名・瑞希の行動ってすごくリアルな感じがして、こういう描写はある程度心の闇を経験した側の感性な気がしてならないとずっと思っていたのですが、このセリフでほぼ確信に変わりました。

ニーゴのシナリオを書かれている方々が、今はもう過去のものとして割り切れているというか、今が幸せなものであることを祈るばかりです。

実はまふゆ母と奏は、実はかなり近いところまで行ってしまっている気がする話

今回の6話、奏が倒れた際に見た夢の中では、まふゆを連れ去っていこうとするまふゆ母に対して「そっちに行ったらだめ——!」というようなことを口にしていました。

このセリフを聞いたとき、一番最初に思い出したのは

まふゆ母の「あなたを本当に想っているのは、あの子じゃない——」というセリフ。

前後関係だけを見れば奏の感覚が間違っていないことは当然理解しているのですが、このセリフだけを見た時には”自分こそがまふゆを正しく幸せにできる存在だ”と疑っていないように見えるという点で、実は両者はかなり同じ性質があるんじゃないかと思ったりしたんですよね。

かねてから自分は奏は”自分は誰かを助ける人間にならなくてはいけない”というような”メサイアコンプレックス的な状態”にあると思っていて、そういう観点からも少し似ている気がしています。

だけど奏とまふゆ母の決定的な違いは、奏はこの経験から「もっとしっかりまふゆを守らなきゃ」とか「もっとまふゆを幸せにしなきゃ」みたいな盲信を強めるのではなく、「わたしが、あの人のことを信じきれてないからだ」という気付きを得ているところなんですよね。

奏はずっと一貫して”今のまふゆ”を見ているから、今そこにあるまふゆだけを信じていて、だからこそ今のまふゆのためにしてあげられることを全力で目一杯考えたり探したりしているから盲信することなく気付きを得られる。

逆に今を見ているからこそ、過去のまふゆの母親の話がなかなか見えてこないというのもありそうですが・・・

対してまふゆ母は、一貫してまふゆの人生や未来を見ているから、逆に今のまふゆの言葉がこれっぽっちも届かず、今のまふゆを想う奏の言葉も届かなかったって感じがします。

(まふゆ母はどう考えてもやり過ぎというべきか、意固地だったり頑固だったり視野が極端に狭くなっていただけで、未来まで見た幸せを考えること自体はそこまで間違いではないはずなので、少しまふゆ母が責められすぎるのも可哀想と思わなくもなかったり・・・)

つまり、実は奏とまふゆ母は”まふゆのどこを見ているか”の視点が違うだけで結構似たもの同士なんじゃないかということであり、まふゆ母が”まふゆの今”に寄り添えるようになったのならば、案外奏と仲良くやれるような気がしています。
なんならこのまふゆに関することのお返し的な感じで、奏の良き理解者にすらなれるのではないかという期待まで持っていますが、それは今後のストーリー次第で・・・

背中で語る奏

またこれは意図されてる表現とは違うとは思うのですが、まふゆ母がまふゆのためにしてあげることはやや恩着せがましいというか、常にまふゆの方を向き続けているような感じがします。

対して奏のやり方は、まふゆの隣で寄り添ってあげたり、今回みたいな感じで背中で語るような感じなのが対比としても、そして奏のキャラ表現としてもすごくいいなと思いましたね。

『みんなでエンジョイ!スポジョイパーク』イベしかり、セカイの4コマしかり、奏はよわよわな面が強調されて描かれているキャラでもあるので、こういうドカッと強さを感じさせる描写が来ると、そのギャップでより輝いて見えるのが最高ですごい良かったです。

イベントストーリーの微妙な点

微妙というよりは、気になった点。

あそこまで頑なで人の話を聞こうともしなかったまふゆ母が、たかだか数ヶ月程度距離を置いたのとりんごの話を聞いただけで自分の今までの行動を見つめ直せるのか・・・?というのが、正直かなり疑問というか違和感を持っています。

自分の経験(といっても大したものではないのですが)から言っても、あそこまで自分が疑う余地すらないままにしてきた行動を自分で否定できるようになるまでって、少なくとも数年単位でかかることのように思うんですよね。
このまま解決するようだと、ちょっとストーリー進行上都合が良すぎやしないか?と、少しばかり思ってしまうところがあります。

また、現状においてはまふゆを救っているのは”奏の音楽”ではなく”奏の行動”だったり”奏の気持ち”だったりするので、このまま解決に向かっていくようだと、”誰かを救える(幸せにできる)音楽”という観点からは少し外れていくのも気になります。
とはいえ、ユニスト時にまふゆを繋ぎ止めるというすごいことをなし得ているわけですし、現在進行系でも音楽でまふゆを癒せているというので十分なのかもしれませんが・・・

さらにそんなまふゆの話きっかけで、「誰かを音楽などの遠距離で救えた時には、結局はその人自身が勝手に救われているだけだ」というところだったり、「本気で誰かを救うにはまふゆの時くらい正面切ってぶつかって行くくらいのことをしないと無理だ」っていうようなところに奏自身が気付いたりして、呪いが少しでも軽くなればいいとも思いますね。

もしくはそういうまふゆをどういう手段であれ救えた実績から、奏の家族への想いを込めまくった音楽が父親に届けば現状が大きく動き得そうなので、まふゆを通した奏の話がさらに先の先まで楽しみだったりするところでもあります。

次回ストーリー予想:次のまふゆ編は、少し変な構図になり得る

おそらく次のイベントでは、『イミシブル・ディスコード』で起こった奏vsまふゆ母だったり、『仮面の私にさよならを』で起こったまふゆvsまふゆ母の続きになりそうなわけですが、実際の話し合いを想像した時、それがなんだかヤバい構図になるような気がしました。

というのも、奏はまふゆ母に対しては批難の気持ちを持っていることから、まふゆ母とは協力関係とはとても言えません。

またまふゆ自身だって、再びまふゆ母の言いなりになってあげるために会いに行くわけではなく、『仮面の私にさよならを』でするはずだった”自分自身を守ること”であったり”自分自身の想いをしっかりと主張する”というのから”逃げた”ことに、改めて決着を付けに行くような形です。

そしてまふゆ父は、きっと限りなく中立のように振る舞って仲裁に努めてくれると思いますが、それでもそのまふゆ父は「全然気づかなかった」「大切なことを見落としていた」というように自分の行いを反省しています。
そしてその自省は、同時にまふゆ母への批難にもなってしまう構造上、このまふゆ父もまふゆ母を肯定してあげるような存在ではありません。

つまり構造としては「奏まふゆ-まふゆ父–まふゆ母」みたいな感じ。

そして、自分が正しいと信じてやってきたことを否定されたばかりか家を飛び出していってしまった(まふゆが自分から離れていってしまった)ことから精神衰弱気味なまふゆ母は、当然ながらまふゆ父にも奏にも味方をしてもらえず、どうしたって痛々しく映ってしまいそうです。

そんな時、まふゆは自分の母親を正しく突き放せるのか、ちゃんと自分は自分、母親は母親として突き通せるかというのは、かなり難しいところなように思います。

下手をすれば、またまふゆ母側についてしまう可能性すらありそうです。

そもそも『仮面の私にさよならを』の時点でまふゆが逃げた原因は、”自分の想いを守る”ことと”母親の想いを守る”ことの相反する感情でキャパオーバーしてしまった点にあり、さっき言ったような構図になるならば、その状況は『仮面の私にさよならを』の時よりも母親が弱っていて、そっちの味方をしたくなってしまいそうな状態ですからね・・・

これはストーリー的な観点で言えば明確に山場といってよく、このような状況を自分を持ったままに乗り超えることができるようであれば、まふゆは”朝比奈まふゆ個人”として生きていける一歩を踏み出せたと言えそうです。

次回のまふゆイベで行われるであろう話し合いにおける構図はほぼそうなることが確定だとは思いますが、そこの中身の部分はいくらでも分岐があるように思います。

まふゆ母が責められ続けるような状況が居た堪れなくなったまふゆが
「勉強ばっかで嫌になっちゃってこんなことしちゃったの」
みたいな嘘をつき、それを今までのように両親に信じ込ませて、再びまふゆ母の支配を許容してしまうのを父母自分自身の3人と奏の3vs1の構図にして丸め込んでニーゴから距離を取ってしまう

とか、
ヒステリックまふゆ母が奏を一方的に責め立てるのから奏を守ろうとして先述のものと同じ行動を取る
みたいな逆戻りルートも平気で起こり得る状態ではあるのが怖いところ。(まあストーリー的にそうはならないと思いますが、状況だけ見たらそうなっても驚きはしないので)

なんせこの話し合いに第三者というか、客観的かつフラット(良くも悪くも他人事として)見てくれる人がいないのが恐ろしすぎる・・・

また、まふゆ関連の話に関して、昔っから思ってたんですけど、本当は絵名が一番適役な気がしてるんですよね。(というか、ニーゴ内において絵名の精神面における総合力が高すぎるが故になんでも任せられちゃうという話はある)

絵名の性格からして問題が更にこじれるリスクもかなりあるわけですが、まふゆ母は絵名の父親である慎英のことを”有名な画家”と知っていて、その慎英が大切な自分の娘に向かって「お前に、画家になれるほどの才能はない」という判定を下したのにも関わらず、それでもなお夢の先に幸せがあるのだと信じて茨の道を突き進む絵名の話は、まふゆ母にとって必要な視点過ぎると思うんですよね。

まあ、瑞希-絵名、まふゆ-奏の形にしたいという都合によってか要所では絡んでこないんですけど、まふゆ母と絵名のやり取りは一度見てみたいとかなり思いますね・・・

総括

所詮創作に何をそんなマジに受けてんだって冷めた自分も少し居たりもしながら、それでもこんなによわよわな子がぶっ倒れるまでなにかに打ち込んでるのにお前は何をやっているんだと少し情けなくなるようなストーリーでもありました。

マジで奏はエナドリバカバカ飲んでるっぽいし、ずっと座りっぱなしっぽいし、塩分高いカップラーメンが主食だし、このままだと本当に早死してしまう生活習慣なのが心配の極みですが、それでもそれぐらい色々と犠牲にしてもなにかに打ち込むのはカッコいいし羨ましいなと。

義務感で自分の限界を超えてしまうのではなく自分の熱意が行き過ぎたがゆえに倒れるのって、実は結構夢だったりするので、流石にそこまでやっちゃうと困るので無理ですが、それくらいの覚悟と意志を持って色々できたらいいなと改めて思わされたイベントでもありました!やりたいこと全部やっていこう!

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