プロセカ イベスト「Knowing the Unseen」 について語りたい!!! [感想・イベントストーリーまとめ]

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今回は25時、ナイトコードで。のイベントストーリー「Knowing the Unseen」がすごい苦くも味わい深かった!ってことで、ストーリーについてまとめつつ、好きなところなどなど語っていこうと思います!!

ただ語るといってもなかなか難しいものがあるので、ひとまず「良かった点」と「微妙な点」、そして一部深掘りしたくなったらしてみるというような感じで進めていきます!

そして注意として、当記事は当然ながらプロセカストーリーについてガンガン触れるので、ネタバレ注意です!
ストーリー興味ないぜ!とか、ストーリー見るのちょっと億劫になってる方はぜひストーリーを全部見てからこの記事に戻ってきてください!

目次

あらすじ

美大を受けるべきかどうか悩んでいる絵名。その悩みは次第に焦りとなり、絵にも現れ始めてしまう。そんな折、不調を見抜いた雪平に悩みを打ち明けると、『課外授業』を提案されて……。

公式のあらすじから引用
YouTube
【プロセカ】『Knowing the Unseen』 25時、ナイトコードで。 [イベントストーリー] このストーリーのまとめ&考察&感想を語った動画(イベント終了翌日の22:30投稿)→https://youtu.be/8GCb7dCL5koこのストーリーについての感想を語ったブログ記事→https:/...

描き下ろし楽曲

私は雨

作詞・作曲:稲葉曇 様

率直な第一印象・・・

好き!!!!!!!

なんだこのシットリしながらもノリのいい音楽は!!!!!!!

こういうので、あんまり他のアーティストを出すのは良くないと分かりながらも、あえて出しちゃうんですけど、自分はこの曲を聞いている時にちょっとサカナクションを思い出してました。
空気感だけなら「さよならはエモーション」とかの、あの辺の空気感と同じ感じがしてるなぁって感じ。
雨音のように、耳障りのいい音で聞き心地も最高・・・!
少し淋しさを感じるような夜中、薄暗いちょっと広めの公園で聴きたいような雰囲気だなって感覚。

そのサカナクションも”夜”や”雨”といったものがテーマになっている曲が非常に多く、そういった点からもより、ニーゴ(25時、ナイトコードで。)に書き下ろされた曲を聞いた時のイメージとして浮かんで来やすかったのかもしれないなぁなんてことも思いましたね、

にしてもホント雰囲気が好き過ぎて無限に聴いていたいし、聞いてない時でも頭の中でリピートしてるイヤーワーム状態だし、で歌詞を見に行ったらすごいオシャレというか視点が興味深くて面白くて感動しました。
ニーゴの描き下ろしの中でもTOP5レベルに好きかもしれない・・・

え、たくさん聴きます!!!!www

冒頭の絵名のパートの「あなたのあわれぇ↑」の「ぇ↑」とこ、凄いワンポイントでありながらも、1音でピタッと収めないんだ!っていういい意味の裏切りにあった感じもあり、それが曲の冒頭の方にあることでこの曲の世界に引きずり込まれる感じがかなり印象的で好き

イベントストーリーまとめ

WL時の絵名チャプターで絵名の友人の二葉との話の中で出てきた、進学についての話。

絵名は絵の勉強のために美大に進むということに関して、迷いを抱えていました。

そして今回、絵名の通う絵画教室にて、美大受験のための実技指導コースの開設の話がされます。

それによって決断を迫られた絵名は、絵画教室の授業中にもそのことを考えてしまって集中ができず、そのことを先生である雪平に見抜かれてしまいます。

そんな絵名の様子を見かねた雪平先生は、絵名に課外授業を提案するのでした。

課外授業(3話~

その課外授業とは、雪平の友人でもあり、絵名の父親でもある東雲慎英の個展の手伝いでした。

レイアウト表通りに絵を飾る作業を進める中、

雪平先生がやってきて、父親の絵について自分の目で見て、その絵に何が書かれているのかを感じ取るようにいい、その場をあとにしました。

その言葉を受けた絵名は、

一つ一つ絵を見ていきます。

その中でも、中期の頃に描かれた絵には暗さを感じるという絵名。

そしてその中の一つに、筆使いの荒い絵を見つけました。

それはかつての絵名にも覚えがあるような感覚を感じるもので、

絵名は不思議に思います。

そしてその次の牡丹の絵は、それまで見た絵よりも明るく感じるものでしたが、牡丹の周りの夜の風景は乱雑に塗られていて、何を思って描いたのかを考える絵名。

そこに再び雪平先生がやってきて、絵から何を感じ取れたかを尋ねます。

そして絵名は、この頃の絵からは苦しい描くしかないという感じがあるけれど、牡丹の絵には救いみたいなものを描いているように感じたと話しました。

それを聞いた雪平先生は、この絵は、絵名が誕生した後、父親が画家を辞める最後の絵として描いたという話を聞かせます。

しかし絵名の父親は画家を辞められなかった。

どうして、どうやってその答えを見つけたかは分からないけれど、絵と共に生き続ける覚悟を決めたのだと思う、という話を絵名は聞きました。

そうして課外授業は終わりを迎えましたが、絵名はこの個展をまだ見ていくようで、

いったいどんな気持ちで、どうやってそんな覚悟を決めたのかを、絵名は牡丹の絵を真剣な眼差しで見つめながら考えていました。

真相(8話)

個展も終わった帰り道、絵名は父親と一緒にいました。

そして絵名は雪平先生から聞いた、絵名が産まれた時に画家をやめようとしたというのが本当かどうかを父親に尋ねます。

そして父親が話したのは、

当時画家として、表現したいものを理解されずに求められるものばかりを描き続け、そんな自分が許せずに描きたいものも追求しようとしても理解されずに絶望するような、そんな暗闇の中にいた中で、

絵名が産まれ、

何も生み出せないのであれば、なし得ないのであれば、ひとりの人間としてこの命を守っていこうと思ったこと。

そして、最後に一枚だけ描きたいものを描いて画家人生を終わりにすると決めて描いたのがあの牡丹の絵だったこと。

そしてその牡丹は、絵名が産まれた病院の帰り道に咲いていたもので、それはさっきまで腕の中にいた赤ん坊のように見えたこと。

そして暗く寂しい画家人生を照らす小さな光が、最後に相応しい絵かもしれないと、すべてをその絵に乗せたこと。

しかし、完成した絵を見て、筆を折ることはできないと思ったこと。

その絵には、絵を描く苦悩も、喜びも、愛しさも、すべてが込められていて、

絵のない人生を、歩むことができないのだと気付いたこと。

絵を描かないならば生きることができない、そして守りたいものも守ることができない、

離れられないのなら、抱えて生きるしかないと、そう考えたら覚悟が決まったことを話しました。

その話を聞いた絵名は、自分だったらどうだろうということを考えて、

そして改めて画家を目指すことを宣言します。

それは絵名も同じく、絵を捨てられないという想いがあるから。

そんな絵名の覚悟を聞いた父親は

笑顔で「好きにしろ」と言いました。

そして絵名も、絵と一緒に生き続けるという覚悟を決めたところで、今回のイベントストーリーはおしまいです。

イベントストーリーの好きだった点

なんというか絵名バナーのストーリーは『満たされないペイルカラー』『空白のキャンバスに描く私は』、そして今回と、めちゃくちゃ濃いブラックコーヒーみたいな、強烈な苦みの中に味わい深さがあるような感覚になるものが多いなというのが印象です。

故に好きだったというよりかは、とても考えさせられるようなものが多かったので、好きなところを羅列するような形式ではなく”ぴなのん個人の感想を語る”記事となってしまいそうです・・・
それでも良い方のみ、以下ご覧いただけると嬉しいです。

Knowing the Unseen

今回のタイトル『Knowing the Unseen』の意味は、直訳ですが”見えないものを知る”。

絵名自身、色々なものに向き合ってきた今だからこそ見えるものがあったり、逆に今までは知ろうとしなかった見ようとしなかったものを知ったり、そういった意味が含まれているタイトルだと感じます。

またこのイベント名のロゴを最初見たとき、めちゃくちゃおしゃれだなって思いました。
今までは文字そのものに装飾がつくようなロゴだったのが、今回はその文字自体は至ってシンプルなフォントで、その文字が入っている背景というかフレームが凝られていておしゃれという、なかなかに珍しく斬新だと感じて、かなり印象的なロゴになりました。
これかなり好きですね・・・w

絵名のキレ芸(芸ではない)

自分でかけたアラームにキレる絵名、流石に理不尽だけどあまりにも解釈一致wwww

そしてこの眠がり絵名は可愛さ満点でいいですね、ここはすごい好きでしたw

表現

そして個人的にすごい刺さったのがこの”光で滲む”という表現。

なんというか、光というのは”差す・差し込む”ものであったり、視界がひらけた先にあるものであったり、明るくポジティブな象徴として使われる言葉だと思っていたのですが、滲むという少しマイナスな印象、そして光ですら滲むことしかできないとも捉えられるような暗闇の強さを表しているのがいいなと。

多分ここは、ただ現状にほんの少しだけ、それこそ滲み出した程度の小さな変化でありながらも確かに光が存在していて、それを自らの意思で掴み取って塗り替えた。

つまりこの父親はその光=絵名をきっかけとして自分のあるべき姿を自覚した。
気付かされたのではなく、自覚したというその決定的な違いも含めて、このたった一つの”光で滲む”という表現に収めているのに感動しましたね・・・
こういうおしゃれな言葉遣いができるようになりたいものだなぁと・・・w

捨てられないもの

〇〇のない人生を歩むことができない、っていう言葉超かっこよくない!!?!?!

そこまでのものを持っているカッコよさは凄いなって思うと同時に、そういうもの欲しいなってちょっと思ったり思わなかったり・・・w

ちょっとした考察(というか妄想)

東雲絵名

今回、絵名の父親と、その絵名の誕生に関わるエピソードが話されました。

それは画家として燻り続けていた中、生まれたばかりの娘を抱いた時に自分の”やるべきこと”を自覚し、最後にと1枚の描きたい絵を描いたことで、”やるべきこと”ではなく自分の”あるべき姿”を自覚したというもの。

こんなストーリーを見ていた時に、一つ疑問が浮かびました。

”絵名”って名前は、どういう意図でつけたのか? と。

法律上では生後14日までに出生届を出すことになっていますが、多くの人が名前を決めるのは生まれる前なのではないでしょうか。

そうなると生まれる前から”絵名”という、その名前に”絵”を入れていたことになるわけですが、その絵のことがうまく行ってないという感覚があったのにもかかわらず”絵”という文字を名前にいれるのは違和感があります。

となると、名前を決めたのはきっと絵を描き続ける覚悟を決めてからという方が自然に思います。

となればその意味は

自分の愛する”絵”という言葉をそのまま”名”付けて”絵名”

”絵”を描き続ける”名分”としての”絵名”

なんてのも考えられますが、個人的には次に上げる2つ

”名”という字の成り立ち「夕(月) + 口 で、暗闇の中自分の存在を声で告げることで、分からないものを分かるようにする」という意から、”絵”への向き合い方を自覚するきっかけをくれたということで”絵名”

結果的に”絵”を描き続ける覚悟を決めるきっかけとなった絵、そしてそのモチーフとなった牡丹のように、暗がりの中でも光を感じさせるような高貴(牡丹の花言葉)な存在となることを願って、その『夜に咲く牡丹』という絵の名前そのままという意味で”絵名”

なのではないかと、個人的には解釈しました。

まあ結果的に、慎英が絵を描き続ける覚悟を決めるきっかけとなった絵の名前は”『夜に咲く牡丹』=絵名”という構造になっているのは確かなので、関係はしていそうな気はしますね・・・

この辺見れてないサイドストーリーで全然違うことが明かされてたりしたら赤っ恥ではあるんですが、仮に違っていたとしてもそんなに悪くない解釈なんじゃないかと、自分では結構満足していますww

にしても、このストーリーっていつから用意されてたんだろうか・・・
なんならサービス開始時点でこのエピソードは用意していたような気すらして、どこまで見越してるのか怖くなってきますね・・・

創作者に対する向き合い方について(ぴなのんの感想文)

ここからは今回のストーリーで筆者ぴなのんが感じた感想を語ろうと思います。

プロセカというゲームは、ボカロPや絵師をはじめとしたクリエイターの方々に強くスポットを当てるように意識して運営されているゲームだと常々感じていました。
それはプロセカNEXTや最近始まったプロセカアカデミーにおいても分かることで、才能の発掘という点も大切にしていることからもわかります。

そしてその姿勢はプロセカのストーリー本編にも現れていると感じていて、それを強く感じさせるのがこのニーゴのストーリー、そしてその中でも”創作”に対しての苦悩をメインに描かれている東雲絵名というキャラクターです。

今回も絵名自身の想いと、そして創作者としての資格の有無という自意識の狭間で悩んでいたところからストーリーが始まっています。

逆にそれを見ていた僕、ぴなのん個人は、こうやって好きなところ語りなんて記事を書いていますが、これは創作ではなく好きなところをただ垂れ流しているおしゃべりの延長線にあるもので、Youtubeでやっているストーリー切り抜きも、プロセカ公式が言うところの二次創作に入る可能性こそあれど、その本質は自分が好きなところを切り出して見れる状態にしているだけの二次利用です。

もちろん自分も一応言葉を扱って記事や動画を投稿している以上、同じ言葉を使ってする創作も存在するわけですから、創作に対しての憧れはあります。(だからこういう創作のマネごとをしているみたいなところも若干あります)

しかし自分が得意としている言葉の扱う方向は”言語化”であって、抽象的な要素を一つの作品としてまとめあげる”創作”とは真逆の行為なんですよね。

せっかく抽象的なものを一つの作品をして創り上げる”創作”をしたものに対して、それをわざわざ”言語化”で解いてバラバラにして得意げに語るのが言語化の本質なのではないかと、創作に対する冒涜をしているのではないかと思うような瞬間も正直あります。
それでも自分は、言語化して自分の分かる範囲に置き直すことで安心する、そしてその過程を楽しむということが創作に対する楽しみ方だったりするので、ある種わがままを創作に押し付けている形だったりするなと感じてるんですね。

だからこそ、より一次創作をする方々に対するリスペクトはいくらあっても足りないし、自分が創作に対してそういう楽しみ方をする以上は、そういう意識を忘れてはいけないという自意識を持っていたりもします。

なのでこういう絵名の創作者としての自意識の悩みは、自分は真逆の立場でありながらも多少通ずるものがある気がしてすごく共感できるなと思いつつも

そうやって創作をする人の悩みや苦しみは自分が想像するよりもさらに強いものなんだろうなと、改めて認識することができ、より一層創作に携わる方々へのリスペクトが増したのが今回のストーリーで一番感じたことでした。

またそれと同時に今回のストーリー内では、絵名とそれを見に来た客とでは、見えているものが違う、解る領域が違うことも表現されていました。

それは同時に、創作者には同じ創作者にしか分からないことがあると改めて突きつけられたようでもあって、自分には若干ショッキングなシーンに映ったわけなんですけど、だからこそ自分のような創作者ではない存在は創作に対するリスペクトを忘れないだけではなく、創作者が表現したいことをできるだけ汲み取れるだけの知性・感性・知識といった能力を育て続けていかなければならないなと、それがせめてもの創作者や創作物に対する誠意のある向き合い方だなと改めて思い、気が引き締まりました。

イベントストーリーの微妙な点

と、まあこれだけ創作に対する気持ちを長々語ったあとで恐縮なんですけど、今回のストーリー、ちょっと一つだけ、ほんとにちょっとだけ気になる表現があったので、そこを。

第4話、絵名の絵画教室の先生として来ているからと、雪平先生が断りを入れるシーンがあったのですが、同じく仕事で来ている絵名の父親の表記は

”父親”ではなく”慎英”だろ!!!!!!!!!

で、これをもし”慎英”にすると一つまたいいことがあって、

8話の帰り道での絵名との会話では”父親”と表記し直すと、よりエピソードに温かさが出るという表現になり得たんじゃないの?!って感じで!!!!

ただ2話の時点から絵名のことを気にしている描写があり、

そもそも個展の手伝いもその父親には話が通っているという、どこまでが父親が差し向けたことか分からないような感じにもなっていますし、

父親としての覚悟のエピソードもあったのが今回の話でした。

つまり、2話の時点に始まり、個展、そしてその帰り道まで通して、仕事中であっても”父親”であり続けていたという表現と思うと、これはこれで良い!!!!ってなるので、結果問題ないかな?とは思いますwww

ただプロセカって基本的には非常に分かりやすい表現で構成されているので、自分が提示したような”慎英”表記との対比によってより明確になるこの構図が、そこまで意図されているかどうかは定かではないので・・・

まあ分からん!!!!wwwww

一応誤解されても嫌なので補足すると、自分にとって創作へのリスペクトを持つということは、決して創作に対して盲信的になることではありません。

良いと思ったところは良いと言い、悪いと思ったところに関しては悪いと(同時に必ずこうした方が良かったと思うを付け加えて)言い、でも創作したこと自体や創作物そのものや創作者に対しては、自分ができないことをしてくれてありがとうという感謝の気持ちを忘れない、という姿勢のことを言っています。
むしろ何でもかんでも良い!というのは、しっかりと作品と向き合っていないようでもあるため、失礼に当たると思うというのが自分のスタンスです。

2024/04/19補足

補足:0→1が一番すごいのであって、その1を借りて創作する二次創作はどう頑張っても一次創作より高尚なものにはなり得ないという考えを持っています。
ただし”面白さ”とか”好き度合い”という観点で見れば、元の一次創作ではない一次創作を二次創作が上回ることもあるわけで、”すごさ(偉さ・高尚さ)””面白さ””好き度合い”をそれぞれ評価軸として持っており、まとめて表すと

すごさ
一次創作>二次創作
という以外になく、

面白さ・好き度合い
一次創作(作品A)>作品Aの二次創作≧作品A以外の一次創作
一次創作(作品A)>作品A以外の一次創作≧作品Aの二次創作
となることもある、といった感じです。

まとめ

今回のストーリーは、前回の『The first concerto』の冬弥編に続く父親との和解の話でもありながら、そのストーリーの印象はかなり違うものだったように思います。

冬弥編は、強いて言うなら”激励”で、

今回の絵名編は、父親の苦悩も知り、現在に至るまでの流れも知り、そうやって想い出を父親と”共有”したストーリーだったように思います。

最後のシーンなんか、言葉こそ突き放しているものの、この笑みには「自分と同じ覚悟をこんなにも若い段階で背負ってしまうのかと、娘の成長の喜び」であったり、「娘の悩みの力になれた嬉しさ」だったり、「そもそも悩みをある程度吹っ切ってくれたことへの安堵」であったり、

もしかしたら、昔から絵名が絵を描くこと自体は嬉しく思っていて、でも進路の話で画家と言い出したからああいう態度をとってしまって、でも最終的には「なんだかんだ自分と同じ道を選んだ嬉しさ」なんてのもあるのかもしれないと、色々な想像ができる素敵なシーンだったように思いますね。

また今回の記事はいつもの好きなところ語りとは少し違って、自分の感じたことを文章にする、読書感想文みたいな動画になってしまいましたw

ですが自分としては、創作への想い(ある種コンプレックスでもあるわけですが)を再確認できたのは、非常に良かったなと思います。

これからも絵名のストーリーではそういった想いを何度も再確認することになるとは思いますが、それはそれで大切なことだと思っています。
この先の絵名のストーリーも、他とは違うちょっとだけ特別な気持ちで見ていくことになりそうですが、楽しむことを第一に、プロセカを追いかけていこうと思います!

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