今回は25時、ナイトコードで。のイベントストーリー「灯を手繰りよせて」が終始・・・ってなことで、ストーリーについてまとめつつ、好きなところなどなど語っていこうと思います!!
ただ語るといってもなかなか難しいものがあるので、ひとまず「良かった点」と「微妙な点」、そして一部深掘りしたくなったらしてみるというような感じで進めていきます!
そして注意として、当記事は当然ながらプロセカストーリーについてガンガン触れるので、ネタバレ注意です!
ストーリー興味ないぜ!とか、ストーリー見るのちょっと億劫になってる方はぜひストーリーを全部見てからこの記事に戻ってきてください!
あらすじ
奏の家に来てから、前に進めないままの状態が続くまふゆ。そんな中、父に『母と話した日の事を教えてほしい』と言われる。話そうとするまふゆだが、なぜかその時の事を口にすることができず——
公式のあらすじから引用
描き下ろし楽曲
エンパープル
作詞・作曲:はるまきごはん 様
はい、来ました!!
個人的激推ボカロPであるはるまきごはんさん!!!!!
個人的にはもうドリームレスドリームスとコバルトメモリーズが特に好きで、ネオドリームトラベラー収録曲がもう信じられないくらい全部が全部好きすぎて度肝抜かれた方なんですけど、今回もそのテイストを感じられていいですね~!
なんといってもこのはるまきごはんさんの好きなところって、メロディーの流れ方がすっごい心地良いってところなんですけど、こういうダークな雰囲気でも同じように気持ちがいいというのがやっぱすごいなと、本当にね、耳が気持ちいいんですよ!!www
そしてそもそも曲名である「エンパープル」は、英語で”紫色に染める、染まる”といった意味があるようで、まふゆのイメージカラーである紫であることはもう言わずもがななんですけど・・・
このはるまきごはんさんのYouTubeにあがっているMVの途中と、最後のシーンに写っている”#664F8C”というのは16進数のRGBのカラーコードでで、プロセカ公式が配布しているデフォルトまふゆイラストアイコンの髪色がちょうどこの色でちょっとビックリというか感動。
Bメロで右手と左手を開いたりするの答えが分かってスッキリしたというか、なんかコメントからちょっと面白かったな、なんてことも思いましたねw
これかい!!!ってw
曲の解釈に関して、語れるだけの知識がなさそうですし、一部歌詞を切り取ってこれはこうだ!っていうのを何箇所もしてたくさん語るのはあまり曲の楽しみ方として好みではないので、自分の中で気になって調べた曲の解釈に使って良さそうな知識と、ふわっと思ったことを箇条書きで羅列するだけで。
- はるまきごはんさんのMVでは、”完璧な紫色を求めて染色を繰り返す話を描いた”らしい(https://x.com/harumaki_gohan/status/1804117001704804524 より)
- はるまきごはんさんのMVにおける登場人物の衣装からなんとなくエジプト感を感じたので、調べてみると一説ではクレオパトラは毒蛇で自殺したというものがあるらしい
- ”レベッカ”というのは、ヘブライ語で”束縛する者”という意味があるらしい
- 歌詞内では左手が青色、右手が茜色と関連付けられているが、ストーリー内においてまふゆが父と繋いでいるのは右手
- 紫色というのをスピリチュアル的な意味で捉えると”赤は火の色であり男性性や父親、青は水の色であり女性性や母親を表し、紫色は赤と青を混ぜた色のためカラーセラピーにおいては両親を意味する色と解釈します。ご両親の愛がもっと欲しかった・・・といった想いがある人にもよく選ばれる色です。”らしい(https://www.tccolors.com/color_dictionary/free_color_therapy/meaning_purple より一部省略・改変して引用)
- 左手に対応している青色だけど、MVでは紫に見える瞳もなぜか一貫して”まだ青い”と表現されている(青はなんの象徴なのかが全く分かっていない・・・)
イベントストーリーまとめ
以前と変わらず、奏の家での生活を過ごし、毎週父親がやってきてくれるという状況のまふゆ。
それでも父親から見れば、少しずつでも良くなっていると思えるような状態でした。
それでももっとまふゆのためにできることをと考える父親はもっとまふゆのことを知る必要があると考え、
家に帰った父親は、まふゆ母に、まふゆが家を出た日のことを詳しく聞きますが、特に新しい情報は得られません。
となると聞く相手はもうまふゆしかおらず、まふゆにもそのことを慎重に聞いてみます。
様々なことをしてくれる父親に対して少し引け目も感じていたまふゆは、どうにかその話をしようとしますが、
結局話すことはできませんでした。
その日まふゆは、父親にも拒絶されてしまうという夢にうなされます。
それをたまたま様子を見に来ていたミクたちが気付き、セカイに帰ったミクたちと瑞希たちが会ったことで、瑞希にも現在のまふゆの状況が伝わります。
それを知った瑞希がとった行動は、まふゆと一緒に下校をし、話をすることでした。
そこで瑞希はまふゆを励まします。
また奏の家に帰ってから、リンと父親の話をし、「まふゆにとっての父とはどんな人なのか?」と聞かれてまふゆが話したのは、
かつて雷が怖くて寝れなくなってしまった夜、寝れるまでそばにいてくれたという優しい思い出。
それを聞いたリンは、今でもその優しさがあるんじゃないかと、信じて話してみてもいいんじゃないかと話しました。
そんな瑞希とリンの言葉をもらったまふゆは数日後、父親に全てを明かしました。
まふゆが家を飛び出した日のこと、
その時まふゆが感じていたこと、
そして、医者になるという夢は自身の想いではないことをきちんと伝えます。
それを聞いた父親は、少し考える素振りを見せた後、
まふゆの想いを理解し、それが苦しみとなっていたことを理解してくれました。
そしてまふゆの味方であることを改めて伝えてくれた父親から、あの雷の日にも感じたあたたかさを感じるまふゆ。
そしてそのお礼のメッセージが瑞希の元に届きます。
”まふゆはちゃんと話して前に進んだ”というところから、瑞希も前に進もうという決意をするのでした。
そしてシーンは変わって神山高校。
文化祭での出し物がイカ焼きに決まり、クラTも可愛くないと絵名は不満げでしたが、瑞希が文化祭に参加するということを聞いていたことから参加する気になっていました。
そして瑞希のクラスは面白そうなことをやるらしいから見に行ってみようと、絵名がそう決めたところで、今回のストーリーは終わりです。
イベントストーリーの良かった点
今回のイベントストーリーの一番のことは、やはり父親が正しくまふゆの味方であったことで、そこに関するシーンは本当に心温まるものでした。
しかしそれ以外のところでも良かったところたくさんあったので、たくさん語っていこうと思います!
お茶
もうひとりでお茶を淹れられる奏・・・
『リラックスティータイム』の時に危なっかしさを見せていたけど、もうずいぶん立派になったんだなと、奏の成長を感じて微笑ましく思っていましたね。
最初は過保護まふゆが発動するくらい危なっかしかったのにね・・・w
いや~、良かった!w
寝室
寝室の背景、おそらく初登場・・・ですよね?
そして恐らくこの部屋はもともとは奏の寝室だったところ、もしくは奏のお母さんの部屋なんだと思うんですけど、それを断定するのは難しそうですね・・・
そして、この寝室の背景が新たに出てきたということは、この寝室のシーンをこれからも使うということ。
つまり、まふゆの問題はまだまだ解決には遠いということを暗に示しており、少しばかり苦しい気持ちになりました。
ぜひこの推測を裏切って欲しいんですが、それはそれでストーリーの終わりが近づいてしまう・・・
複雑だ・・・
ミクと瑞希
まふゆのことを気遣って言わないミクと
そんなミクの様子から感じ取って、まふゆの心配をする瑞希。
これはもう本当に、それぞれがそれぞれ優しさだけでやり取りをしていて、とっても胸が温かくなるいいシーンだったなと・・・!
ニーゴはストーリーのテーマこそ暗くて重くて冷たくてキツいけど、登場人物はみんなすごい温かくて優しいいんだよなぁ、世界もこうであってくれ・・・
焦らし
どうせしっかりまふゆの味方であるだろうから大丈夫と高を括って見ていたら、あまりにもここで焦らすものだから、「え、まさか違うの・・・?」とだんだんと不安にさせれらて、
そして落として上げられた。
感情の動かし方が上手なんかだからもう~!!!!!wwww
この言い方も、まふゆが見た夢の感じに寄せているし、これはわざとやってますww
結果良かったのでいいですけど!!!
この漏れ出るような一言一言には、まふゆがこうなるまで気付けなかった後悔や反省、怒りなんて感情が入っているのかな、なんて考えさせられました。
まふゆの勇気、父親の温かさ、すべてが良かったシーンに時間をかけたことで、より印象的なシーンになったような気がしますね、いいシーンでした。
またそんな父親が持ってきてくれたのが、かつてまふゆが使っていたノートパソコン。
これを失わせたのがまふゆの母親なら、戻してくれたのは父親だったということで、この優しさがもうそれはそれは沁みて・・・
この1話に始まり、最後までこの父親の優しさが沁みすぎて良かったなぁ・・・
瑞希の問題
かつては『ボクたちの生存逃走』でも、まふゆに対してのアクションを起こしていた瑞希。
今回でもそんな瑞希の優しさから来る行動が見られて、また今までの瑞希のストーリーからの言葉でもあって非常に温かい気持ちになったわけですが、瑞希がまふゆの問題に介入すればするほど、瑞希の問題が大きくなっていくなという構造が4話の時点ですごく気になっていました。大丈夫かなと。
それは、瑞希自身の言葉がブーメラン的に自分にも刺さるということだけではなく、ニーゴの仲間という存在がどんどん大切になっていってしまうということも、今の瑞希には問題であるということ。
それが8話で回収されるというか、瑞希の問題が否応なしに一つ進展してしまうような状況が示唆され、ここで来るのか・・・と、自分の感じた懸念が伏線になっていたというのには気持ち良さがありましたね。
ただこの問題に関しては、個人的な予想があるので、それはのちほど・・・
サイスト
奏 後編
本編中にまふゆの父親が持ってきてくれたラベンダーのフレーバーティー。
実はその紅茶一つにもまふゆ父の想いが込められていたことがこのサイドストーリーで分かります。
こんなん、まふゆが心配するまでもなく圧倒的味方じゃねえかよ・・・
暗くて冷たい雰囲気の漂うニーゴのストーリーにおいては、このまふゆ父の存在、温かさが沁みすぎました・・・
結構しっかり泣けてしまった・・・w
絵名 後編
本編ではあまり出番のなかった絵名ですが、サイドストーリーでものすっごい絵名らしい素敵なやり取りをまふゆと交わしていました!!!
マジで絵名のお姉さん力というか、それでいてツンデレで、属性詰めすぎ!!!!!
絵名マジでいいよな~・・・
すごいいい雰囲気で、まふゆにとっての絵名も、絵名にとってのまふゆも結構ちゃんと大切なんだっていうのが素敵すぎるくらいの感じに表現されてたのが最高で、結構ウルウルしてましたw
本編だけでなく、サイストでもすごく感動できた、最高のストーリーだったと思います!
考察・予想
まふゆの見た夢
まふゆが見た夢は、まふゆの父親からも拒絶されてしまうという、最悪と呼べるようなものでした。
それはまさしく悪夢と呼ぶべきものですが、まふゆは「話したい」と言っているように、父親に話しても大丈夫なんじゃないかと深層心理では思っていたように思います。
それでも現実はそうなるかは分からず、最悪もどこかでイメージしてしまったが故、もしくは最低な状況になっても耐えられるだけの精神状況にするための自己防衛本能的なものがこの夢だったのかなと思うと、まふゆのしんどさがより分かるシーンでもあり、それを否応なく無理やりに見せられ、しかも寝ているという一番無防備な状態の時の出来事として”夢”という表現にしたのがなかなか鋭い表現だったなと。
悪い夢を見たときのダメージって結構一日残るレベルでキツイときあるし、その最悪を、イメージや想像ではなく夢という形にしたのは、かなりのこだわり表現のように思いました。
イベントタイトル
今回のイベントストーリーは、まふゆと父親の大切な思い出が描かれており、そのタイトルは『灯を手繰りよせて』。
対して母親との思い出が描かれていたのは
『灯のミラージュ』で、ミラージュの意味は”蜃気楼”。
父親の温かさ、”灯”は確かに今も存在していて手繰りよせられるものであるのに対し、母親の優しさは蜃気楼のように幻だったのかもしれない。
そこまでいかずとも、今では蜃気楼のように思い出という幻想の中にしか存在しないという、そういうタイトルの対比を意識してつけられたタイトルのような気がして、ここもオシャレ表現っぽくていいですね、好きです。
雷の日の時系列
今回の温かいものとして語られた、雷の日の思い出。
しかし、雷で寝れなくなっているところをお父さんに見つかった時のまふゆの反応は正直尋常じゃないです。
これは、もうすでに母親からの圧で苦しみ出している時期であることが分かりますが
『灯のミラージュ』にはそういう様子がなく、ちゃんと子供らしく甘えられているように思うんですよね。
恐らくまふゆ母がまふゆに対して”いい子であることを強要し始めた原因”であり、きっかけでありそうな『迷い子の手を引く、そのさきは』で語られた、フェニックスワンダーランドでのできごとがあって。
つまり今回語られた雷の日は、『灯のミラージュ』より後、かつ『迷い子の手を引く、そのさきは』より後ということになり、同じ”幼いまふゆ” という表記がされる短い間だけで、朝比奈まふゆという人間が大きく変わってしまったことが分かります。
あれがなければどうなってたんだろうな・・・
母親と父親、そして奏やニーゴ
そして今回出てきたまふゆの母親の様子から分かるのは、この”電気を消していた”という描写や、父親の呼びかけに一切の反応を示さなかったにも関わらずまふゆの話になった途端に反応を返し、矛先が自分に向きかけるとヒステリック気味なり、それでもなお”どうしたら分かってくれるの?”と、この自体の深刻さを欠片も理解していないという、この母親の方もかなり病んでいる(か、もう人間的に終わっているか)ということ。
どうしてまふゆ母が自分でやったことなのにこんなに病んでるのかと言えば、先程も語った『迷い子の手を引く、そのさきは』で語られた、まふゆが迷子になった時の話。
ここで恐らくまふゆを失う恐怖をリアルに味わってしまった体験であり、まふゆが痛がるほど強く手を掴んでいることからそれが分かるかと思います。
そこからまふゆに対して、意図せず、自覚ないままに過干渉を始めてしまったのかなと。
これは、またまふゆが迷子になってしまわないように、あらぬ方に行ってしまわないように、人生における進路すらも自らの範囲内に置いておきたいという心理から。
ただしそれが無自覚故に、いつのまにか”自分の考えるまふゆの幸せ”をまふゆが叶えることが何より良いことと、真に思い込んでしまうことになり、まふゆを大切に思っていたはずのものが、いつしか支配に変わってしまった。
それでもまふゆは、同じく迷子になったときに母親がいなくなってしまった時の恐怖感が強烈に残っているから、まふゆの中での母親の存在が過剰に大きくなり、否定ができなくなって、支配を受け入れてしまうわけです。
最悪な形で利害が一致してしまった両者は、そのズレた歯車のまま、お互い歪みながら無理やり動き続け、ついに限界が来たというのが現在の状況。
それでもまふゆ母からすれば、あの日感じた”まふゆを失う”というのに近い状態にあるわけで、必死に避けてきたはずの苦しみを直面している状態です。
当然まふゆも、支配を受け入れてまで母親を肯定してきたのに、最後の最後でその母親は自分を否定したという状況は耐え難いもの。
そこで鍵になってくるのは、奏(ニーゴ)と、まふゆの父親なんだと思います。
この歪さに、ニーゴやセカイのミクたち(主にKAITO)のおかげで少しずつ気付き始めたまふゆと、この問題の本質を理解したまふゆの父親。
しかし構造的に今の状況を見れば、奏は外側である環境的な面を支えてはいますが、救うといった根本的な解決にはなっておらず、また父親も味方であることを示してくれたおかげで精神的な支えにはなっても救われるわけではないですよね。
故に、外側である環境的な面を救うのが父親で、内側である精神的な面を救うのが奏であると考えると結構スッキリと考えられます。
そう考えると、物語の先はキレイなハッピーエンドではないかもしれないなんてことを思ったりもします。
この問題の解決方法
先ほども語った通り、まふゆの父親は環境面を、ニーゴは精神面を担当すると考えたとき、環境面におけるまふゆの力になる方法はたった一つ。
それは、まふゆ母をまふゆからもっと引き離すこと。
幸い、まふゆ母にはまふゆを学校で待ち伏せをするだの、奏宅に押しかけるだのをして付きまとうといった強行手段には出ていません。
それだけの理性は残っていると見ていいでしょう。
しかし、もしこの先まふゆ母が色々なことを謝ったり反省をしているような態度を見せたとしても、いざまふゆが家に戻ってきたら、まふゆ母の支配は再び始まるでしょう。
そしてまふゆも、それを拒絶し切ることができるかは分かりません。
人間そう簡単には変われませんからね。
それを思えば、まふゆ母とまふゆは、もっと物理的に大きく隔離すべきなんだと思うんです。
まふゆに必要な環境は、母親に縛られず、自らの心が向かう先に全力でいられる環境。
まふゆ母に必要な環境は、自分が何も干渉せずともまふゆが幸せでいられるという現実を目の当たりにすること。
そしてそれを唯一可能にするために”引き離す”という選択をできるのは、朝比奈家の経済を支えているであろうまふゆの父親なわけです。
「それがまふゆのためだから」と説得し、まふゆ母をどこか遠くに住まわせることで、まふゆをちゃんと一人にしてやること。
まふゆ母も、まふゆを縛るのでもなく、そして逆にまふゆに縛られるわけでもない人生を送ってみること。
これが何より必要なのではないかと。
ただそんな環境を与えられても、もうすでにまふゆは自身の心を見失っていますし、母親も娘の幸せの本質を見失って病んでいる。
そんな精神的な問題を抱えている中でも救いを感じさせてくれるのがニーゴの音楽であり、まふゆはニーゴの仲間に救われており、また隔離された状況においても、まふゆ母はニーゴの曲からまふゆを感じれる。
精神的な救いは、ニーゴから受ける。
そういう未来に進んでいくのではないかなという予想・妄想が頭の中で自然と湧いてきました。
そしてまふゆの母とまふゆが、未来でそれぞれ癒えた時、『イミシブル・ディスコード』の時には敵対関係となった”奏一人vsまふゆ母”だったのが、後には”ニーゴ4人とまふゆ母”が和解をする、なんてシーンに繋がっていったりしないかなと、そこまで妄想を広げています・・・w
どうかいい方向に進んでいってくれと、願うばかりです。
瑞希の問題
そして物語の最後には、絵名が瑞希の教室に行ってみようとするシーンで終わりました。
これに関しては、ついに瑞希の問題が絵名に明らかになってしまうということなんだと思います。
しかし瑞希の問題が絵名にバレる時、瑞希がその場にいるかいないかで結構変わるのかなと。
ふと誰かが話しているウワサを聞いてしまったような場合では、絵名の中では「どうして話してくれなかったのか」「そこまで信用ならなかったのか」といった悔しさを内に秘めながら、でも瑞希が話さないなら聞かないという一貫した態度を取ると思います。
しかし秘めた悔しさも絵名はきっとどこか表に出てしまって、それを人の感情を感じ取る能力の高い瑞希がうっすら何かを察知して関係を遠慮し出し、少しずつすれ違っていってしまう気がします。
対して瑞希がいる場で聞いてしまったような場合では、絵名は瑞希になんて声を掛けていいか分からず言葉に詰まってしまい、瑞希がその場から逃げ出してしまうような行動を取ってしまいそうで、その場合は瑞希の方から遠ざかっていってしまいそうです。
どちらにせよ一旦はすれ違ってしまいそうですが、絵名がそれを放っておくはずがないという絶対的な安心感があるので、全く心配いらないなと思っています。
これが絵名のすごいところであり、カッコいいところであり、こういうアツさはちょっと彰人っぽさもあって、なーんかいいじゃん?と、もう現時点から少し感動して、これを書きながら少しウルウルしてましたwwwww(バカすぎる)
まあでも瑞希の問題は、少なくとも絵名にとっては大した問題じゃなさそう(というか、瑞希が離れていく方がイヤ!って言いそう)だし、まふゆは何も気にしないまでありそう(てかなんなら気付いてそう)だし、奏はそもそも普通になんも気にしなそうで、結果瑞希が最高の笑顔で終わる結末以外見えないので全く心配してないです。
ただまあ、その表現の仕方だけは間違えてくれるなよ、と、表現的な部分ではちょっと心配してますかね・・・最高の展開しか見えてないから、最高の表現で頼むぜ!って思ってます!
イベントストーリーの微妙な点
まふゆ母のヒステリックなシーンは、ちょっとトラウマを刺激されるようでもあって、個人的にはキツかった・・・
でもそれだけあれがリアルな演技だったということでもあるので、声優さんには拍手を送りたいです。
そしてこの現在の状況は、まふゆ父がまふゆとまふゆ母との間に板挟みになっているような状態で、この父親の心的疲労はどれほどのものかと想像するだけでしんどいですね・・・
この上、最近話題にもなっているような「あなたは仕事ばっかりで育児に関わってこなかったじゃない!」なんて言葉を吐かれたら、完全に辛抱ならないくらい、もう限界ギリギリのような気がします。
まふゆとフェニランに出かけている日も仕事をし、高校の入学式の前日すらも仕事をして、シブヤにある『宮益坂女子学園』というお嬢様学校のような学校にまで通えるくらいの経済的な部分を支えてきた父親が、むしろマイナスを与え続けてきた母親の尻拭いをさせられているような状態。
休みの日も返上して宵崎家に通ってまふゆを心配して、家に帰ってもあんな状態のまふゆ母がいるだけ。
マジでまふゆの問題が解決する前に父親が壊れてしまわないかと、とにかく心配で本当に苦しいですね・・・
その点まふゆは、父親に対する気遣いも見えているし、自身の状況もそれなりに客観視できている。
帰って来た父親の言葉になんの反応も返さずに、”娘に逃げられ可哀想な私”に浸っている母親とは大違いです。
まふゆは、あの母親に育てられたとは思えないくらいにちゃんと広く視野を持てていて、どうしてここまで違うのかと思わざるを得ないです・・・
とにかくまふゆ父とまふゆがどうにか幸せであること、母親の方も早くまともになってくれと、そう全力で祈っています。
まとめ
今回のイベントストーリーも、最近の他ユニットと同じように、大きく物語が動き始めた、もしくは動き始める予兆を感じさせる、今後が大変ワクワクするような内容でした。
その中でも特にニーゴはたまに明るい雰囲気になることはあっても、基本的にはずっと陰鬱とした暗さがどこかに残り続けているようなストーリーが続いていた中で、ようやくまふゆにすべてが明るくなる兆しが見えたような気がしましたね。
ストーリーの終わりには、逆に瑞希がどうなるかという展開が示唆されましたが、絵名なら衝突はあっても拒絶にはならないという絶対的な安心感があり、全く気にしていないので、もう本当にニーゴに光が差してきたように思えるストーリーだったと感じており、大変良かったなと思っています!
ただ瑞希の問題が一つ確実に動くのは確定したといって過言ではなく、どういう展開で話が進んでいくのは非常に楽しみなところなので、めちゃくちゃ期待して次のストーリーを待ちたいと思います!
余談
本当はプロセカテストに全力したかったのに、あまりにいいストーリーが飛んできたもんだから、感想も長くなって、動画も長くなって、その制作にめっっちゃ時間取られてしまってストーリーを見返せない!!!!!
まあでもそれくらいいいストーリーだったってことですからね!!!喜びましょう!!!!!!
プレテストの感じからすると、結構難しそうな感じだし、一次すら怪しい・・・
・・・称号欲しいなあ・・・。
2024/06/29 一部で見受けられるまふゆ父(母)への感想に関しての自論
注意:この考えはあくまでも現時点のものであり、今後考えを変えること、変わることは大いにあることを前提にお読みください。
一部感想において”家庭を放っておいていながら、ここに来てまふゆの味方面してるのが腑に落ちない”というような内容のものや、”家庭を放っておいたせいでまふゆ母がああなったかもしれないのに”とか、”まふゆ母が一人で子育てしてきたのに、雷の日の思い出一つと今回のことだけで、父親だけが味方とまふゆが思うのが報われなさすぎる”といった内容のものが見受けられました。
もちろんそれらも一つの意見として尊重されるべきものであり、かつそういう見方ができることも納得はできます。
しかしながら、都内のシブヤ(渋谷)の”宮益坂女子学園”という女子校であり、芸能人なども多数所属しているような融通性があることから私立校と推測できるような学校に通わせることができ、さらにそこに通学できるくらいの場所に住んでいる時点でかなり経済的には恵まれた環境にいることが分かり、それは同時に経済的な圧迫が存在することが分かるはずです。(えむほどのお嬢様であるなら話は別ですが・・・)
事実天馬家においては、司は都立高の神山高校に通っており、さらに父親は会社勤めで母親はピアノ講師と共働きであり、姉妹共に宮女に通っている日野森家の父親がギタリストであり母親は琴の仕事をしているということから共働きであることが見受けられ、経済的な裏付けがなされていることが分かります。(両親の仕事事情が分かっているものだけですが。)
対して朝比奈家においては、まふゆ母が仕事をしている様子は見受けられません。
父親のみの仕事(収入)だけで宮女に通わせ、予備校にも通わせ、通学ができるようなところにも住まわせながら、母親からの収入はなさそう。
となればそりゃ父親は激務になっても当然で、家族のために稼ぐというので休みの日も返上して働き続け、愛する娘の学校行事にも参加できず、まふゆの高校の入学式の前日という、ある程度もう育児に一段落ついた時期においてもまだまだ仕事に追われている始末。
対してまふゆの母はせいぜい町内会で忙しそうにしている程度の描写しか見られず、幼いまふゆを一人でフェニランに連れていけるほどの自由さはあるわけで、ここからさらに父親に家庭内に対しての要求を求めるのは酷過ぎますし、家庭のために自分の時間なんて欠片も作れそうにないくらい働いている父親を責める神経が分かりません。
経済面のために30年前後の時間を拘束されるという恒常的なキツさと、ある程度まで行ったらかなり自由が効くようにもなる育児とで、一番キツいところだけで比較するのはあまりにアンフェアです。
自分の家庭も似たように父親だけが働いて、母親が家庭内のことを全てやるというような家庭であり、同じく都内でも結構いいところに住まわせてもらってきた過去があるので、それなりにこの状況のリアルが分かるんです。
父親が夜帰ってくるのは22、23時過ぎなんてことはざらで、対して働きに出るのは朝5時という朝早く。
子供の自分が寝た後に帰ってきて、起きた時にはもういないような生活で、休みの日くらいしか顔を合わせることはないような生活でした。
この状況、かなりまふゆの家庭環境と近そうに思っていたりするんですけど、そんなことないですかね?
もしそうだったとしたら、こんなの物理的に家庭のことを見れないのなんて当たり前ですし、それだけ働いてくれているから自分たちがいい生活ができているわけですから、感謝こそすれ、責めるのは理不尽極まりなさ過ぎるし筋が通らなすぎる。(感情的な話としては分かりはしますけどね)
仕事も続けた上で父親にも育児に参加させて、究極の寝不足・過労状態になっても続けさせて、そのままぶっ倒れて収入0になったとしても何一つ文句を言わない覚悟を持つ人か、同じかそれ以上稼いでる(稼げる)のに多くの負担を強いられている人しか、道理上これを責める資格は持ってないはずで、朝比奈家はこれに該当するに足り得るだけの情報は未だないはずです。
また父親への気持ち云々の話に関しては、むしろまふゆにとっての母親が大きすぎたからこその今の状況なわけで、まふゆの気持ちが未だ母親に強く向いているからこそまふゆは苦しんでいるわけです。
別に今少し優しくされたから父親に靡いているわけではなく、むしろ父親との思い出はロクに思い出せなくて、でもたった一つ思い出せた思い出は温かいものだったから、父親は母親とは違う想い方をしてくれるかもしれないという風に思えただけで、まふゆが真に欲しているのは母親からの承認であることは何も変わってないはずです。
だからこのシーンは、せめてまふゆ父くらいは話の通じる相手であってくれた、まふゆにとって最悪な状況の中のでのわずかな幸いと見るべきものであって、まふゆの気持ちが変わるようなものではないと考えています。
あとはそういったまふゆ父(まあ母もだけど)を悪くいうような感想全体に言える話ですが、”親というものに完璧を求めすぎ”か”想像力が欠如しすぎ”です。
特にまふゆの場合は一人っ子であり、その両親だって人間であり、さらには子育て未経験者で、所詮”経験値1(しかもその1を積み上げてる最中)”なわけですよ、失敗もします。
自分も一人っ子だったのでよく分かるのですが、一人っ子である程度裕福さがあると専業主婦が成立してしまうことでずっと子供の面倒を見れてしまう。
だから、子供への愛なのか、親としての自覚を強める意識なのかは分かりませんが、そういったものがだんだん執着的なものに変わっていってしまうような感覚は、自分も子供側の視点としてそれなりに味わってるので理解できますし、子供側からしても親からの過剰とも言える愛を感じているし、子供ながらに気も遣うのでなかなか親のことを否定しづらい。
自分の経験的にも、したくないことを、さもしたかったかのように自分から語るような流れになってしまうというな、まふゆの医者の夢の話に似たようなこともありましたし、そういうことから自分のやりたいことが分からなくなるという感覚もかなり理解できるんですよね。(消えたいという想いを持ったところまで一緒だったりもする)
でもそれを親に言う、具体的には「~という言動からそういう期待や圧を感じたからキツかった」みたいなことを大人になってから実際に言ってみると、「そんなこと全然気づかなかった」どころの話ではなく「そんなこと言ったっけ?(やったっけ?)」っていう返答しか返ってこなくて、ああ親って別に大したことねえんだなって改めて思ったりもしたんですけど。(そういう点では、一発である程度の理解を示してくれたまふゆ父はそれなりに優秀とも思えます)
なので”親だから~”と言えるのは、相当恵まれた優秀な親に育てられたか、逆に兄弟が多くいたり共働きだったおかげで適量の愛によって育てられたからこそ適切な距離で親との関係が構築できたか、逆に親というものとの関わりが薄くて理想の親を語れてしまうのかのどれかだと思います。
どれにせよそれは”経験値1なりに失敗した親、でも経済的にはそれなりに裕福さがあって恵まれた家庭”というものを知らない人たちなわけですから、”朝比奈家”という家庭の環境からそれぞれの心情から、全ての前提を勘違いしていたり、想像力が足りていないんじゃないかなと。
ただし最後に、まふゆ父に”モラハラ気質がありそう”といった言説は「なるほど、ありえるかもな」とちょっと思いました。
具体的には、病院をまふゆに紹介した際のまふゆの返答「考えておく」という保留っぽいものだったのに対して、まふゆ父は「病院に連絡しておく」という行動を制限してしまうような行動をナチュラルとっていることや、まふゆが心の内を明かした時の返答の一発目が「…(ため息に近いうなり)そうか」というものであったことで、最初に与える印象が”圧”であるというような点。
前者に関しては、確かにこの返答がそういう意図ならヤベえなって、そう思います。
ただ自分の第一印象としては、「……わかった。考えておく」をそれぞれ分解して、最初の”分かった”が同意、”考えておく”が行くことを前提に予定などを考える、というものだったのかなと。
もし保留にしたくてまふゆが言うとしたら「もう少し考えたい」となりそうな気がするので、ここは運営の表現の仕方がイマイチだったポイントなのかな、という解釈だったりします。
また後者の父親の最初のリアクションから圧を感じるというのも、これまで書いてきた”単純な驚きと同時に、物事の本質を理解したことによる反省や後悔や自分に対する怒り”という感情であり、それは”親だって一人の人間で完璧じゃない”ということでもあるということなんだと自分は感じ取りました。
あとはまたメタ的な視点で見れば、父親がまふゆの味方の動きをしてくれることが確定するのを焦らすことで盛り上げにしたかったという表現でもあると思ったので、ちょっとオーバーなだけかな、的な。(これは解釈の仕方としてちょっと歪んでいるので、あまり良くない解釈かもしれないですね、ちゃんと字面通り受け取ってる人のが正確だとは思っています)
さらにいえば、一度”夢”という形でまふゆ父がまふゆに対して良くない存在となることの仮定を見せた上での味方という結末を迎えた以上、ここから先に別の要因でやはり父親も良くなかったという展開に持っていくのは不可能ではないものの、それをするならラスボスレベルのヤバさをここから出す必要があると思うので、それは少し想像したくないというのもあります。
最後に、これまで書いたことは見かけた感想への反論のような内容となっていますが、個人的には「そうじゃねえだろ」って思う気持ちが強すぎて、その感情を発露にした文章を長々と書いてしまった次第です。
個人的にはまふゆという存在を、過去の自分自身や自分の親が最悪のルートを選んでしまった場合の自分という見方で見ています。
故に、他のキャラクターやストーリーの解釈よりも、反発の気持ちが強かったのかもしれません。
ただし内容的には反論のものですが、冒頭にも書いた通り、そういう見方ができなくはないことも理解できますし、納得はしています。
物語から何を見出して何を受け取るのかは各々の自由であるからして、そういう感想を持つことも、また自分がそういった感想全体に対しての反論のような内容の感想を語るのも自由なのかなという想いからの内容であることはご理解ください。
特定個人のツイートなどを晒し上げて反論するような内容ではなく、まふゆ父に対しての批判的な意見全般に対する反論にしたのも、攻撃ではなく論で語る意味合いを強めたかったからです。
また当内容に関しての反論は大歓迎です。
自分は結構主体的な思考よりも、現状のものを批判的思考で捉えながら考えを深めていくことが多いので、むしろ反論を頂けたほうが考えを深めることができそう故、反論をいただけるとむしろありがたいです。(自分で生み出した考えを批判していく思考だと、肯定するのも否定するのも自分になるのでどうしても視野が狭くなってしまうという難点があるなぁと常々思っているので・・・)
そして、ここまでの内容から分かると思いますが、現状私は”まふゆ父は絶対的な味方である”という解釈のもと、これからのストーリーを読んでいきますし、感想もそれを前提に書いていきます。
しかしながら”モラハラ気質”に関しては一理あると思ったので、頭の片隅には留める程度には疑っていきます。
現状の解釈としては間違っているとは全く思いませんし、これからもこの時点での解釈はこれで正しかったと思い続けますが、これからのストーリーによってもし将来言うことがコロッと変わってたら「ああちゃんと考えを更新できたんだな」と後方腕組みな感じで見たり、「ようやく気付いたか愚か者め、これからはもっと早く気付けよ」と上のステージから優しく見てくれると嬉しいです!!!
コメントお待ちしております!